京都を代表するお寺といえば?…対を成すような金閣寺と銀閣寺はあまりにも有名ですね。
正式には「鹿苑寺」というお寺の舎利殿(仏様の遺骨を安置するお堂)が「金閣」です。
そして、「慈照寺」というお寺の観音殿が「銀閣」となります。
どちらもお寺の名前自体というよりは建物の通称なのです。
しかし、建物の美しさからその通称がお寺の名前としても使われるようになりました。
全面に金箔を配しながらも全くケバケバしい印象はなく、儚くて、凛とした金閣。
静寂の中に侘びの趣が漂う銀閣。
どちらも私の大好きなお寺です。
今回は金閣寺と銀閣寺が世界遺産に登録されたお話を紹介します。
金閣寺と銀閣寺の簡単な歴史
ここでは金閣寺と銀閣寺の歴史について簡単に紹介します。
歴史を知ることで、二つのお寺が世界遺産に登録された理由に繋がります。
金閣寺の歴史
はじめに金閣寺の歴史をみていきましょう。
以下は金閣寺の大まかな年表です。
金閣寺年表
1397年:足利義満の改築と新築により金閣が生まれる
1420年:足利義満の遺言によって禅寺になり「鹿苑寺」と名付けられる
1467年:応仁の乱により建造物の多くが焼失
1649年:舎利殿などの主要な建物の大修理
1894年:金閣および庭園を一般に公開し、拝観料をとるようになる
1929年:旧国宝に指定
1950年:放火により金閣が全焼、旧国宝の指定解除
1955年:復元
1994年:世界遺産に登録
こうしてみると、金閣は二度も火災の憂き目にあっているのですね。
しかし、その度に大きく修理されて復活を遂げるのは、金閣寺が多くの人に愛されていたからではないでしょうか。
そういった波乱万丈の歴史を乗り越え、1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
銀閣寺の歴史
次は銀閣寺の歴史をみていきましょう。以下は銀閣寺の大まかな年表です。
銀閣寺年表
1482年:足利義政が銀閣寺の建造を開始
1490年:足利義政が死亡、弔いのために禅寺となり「慈照寺」と名付けられる
1550年:戦により銀閣と東求堂を残して焼失
1615年:大改修
1951年:国宝に指定
1994年:世界遺産に登録
銀閣寺も金閣寺と似た歴史を辿っています。
戦国の世を駆け抜けたお寺にとって火災は宿命のようなものだったのかもしれません。
金閣寺と一つ決定的に違うのは、近年は燃やされていないという点です。
そのため銀閣は今も国宝なのです。
金閣寺と銀閣寺は世界遺産
対を成すような立ち姿が人を惹きつけて止まない金閣寺と銀閣寺ですが、現在はどちらも世界遺産に登録されています。
古都京都の文化財
金閣寺と銀閣寺は世界遺産に登録されていると述べましたが、単独で登録されたわけではありません。「古都京都の文化財」として、以下の17の建造物すべてで一つの世界遺産として登録されたのです。
古都京都の文化財一覧
- 加茂別雷神社=上賀茂神社
- 加茂御祖神社
- 教王護国寺=東寺
- 清水寺
- 醍醐寺
- 仁和寺
- 高山寺
- 西芳寺
- 鹿苑寺=金閣寺
- 慈照寺=銀閣寺
- 天龍寺
- 龍安寺
- 本願寺
- 二条城
- 平等院
- 宇治上神社
- 延暦寺(唯一、現在の滋賀県から登録)
まさにそうそうたる顔ぶれではないでしょうか。
京都を代表する寺社仏閣が勢ぞろいしていますね。
また「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されたのは1994年12月のことでした。
12月はちょうど京都の初雪の時期です。
屋根に一つまた一つと真っ白な雪が舞い落ちる中、金閣寺と銀閣寺は世界遺産の一画となりました。
世界遺産の登録理由
「古都京都の文化財」が世界遺産に登録された理由は、簡単にまとめると以下のようなものです。
- 平安時代から江戸時代まで京都は日本の首都であり、現在に至る日本の文化を牽引してきたこと
- 京都の建造物群は各時代における日本の建築様式や庭園様式の代表であること
- 日本独自の精神性と文化を表していること
京都は794年の平安京遷都から、1868年の大政奉還まで日本の首都であり続けました。
その間、実に1074年!まさに京都は千年の都なのです。
実は1180年に5か月ほど現在の兵庫県に首都が置かれたのですが、すぐに計画が頓挫し、首都は京都に戻されました。
このように京都は日本の首都として、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代を見守ってきたのです。
悠久ともいえる長い年月です。
時代が移り変わる中で育まれた文化と精神が、今の私たちに繋がっていると思うとロマンチックですよね。
そしてそれが世界遺産として評価されたのはとても誇らしいことです。
京都の魅力を伝えたいと考えている私も身が引き締まる思いです。
幻の国宝、金閣寺
ここまで金閣寺および銀閣寺の歴史と世界遺産登録についてみてきました。
どちらのお寺も火災を経験しているため、まるで悲劇を乗り越えたシンデレラストーリーです。
しかし、二つのお寺の歴史で軽く触れましたが、銀閣は国宝であるにもかかわらず金閣は国宝ではありません。
ここでは、その理由について詳しくみていきましょう。
21年間の国宝
前述したとおり金閣寺は1929年から1950年までの間は、国宝保存法における国宝(旧国宝)に指定されていました。しかし1950年の全焼事件があり、骨組みだけになってしまった金閣寺は国宝の指定を解除されてしまったのです。
現在の金閣寺は1955年に復元されたものなので、現行の文化財保護法における国宝(新国宝)には指定されていません。
つくづくあの放火さえなければ…と考えてしまいます。
ちなみに、新国宝の指定条件は以下のとおりです。
文化財保護法 第2条第1項第1号
建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)
同法 第27条第1項
文部科学大臣は、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定することができる。
同法 第27条第2項
文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することができる。
銀閣寺(正式名称は「慈照寺銀閣」)が現在も国宝に指定されていることを考えると、1950年の火災さえなければ金閣寺は現在でも国宝だったはずです。
しかし、過ぎたことを悔いてばかりいても仕方がありませんね。
私には見ることが叶わないかもしれませんが、この先、金閣寺が国宝に指定される日が来ることを祈りましょう。
どちらのお寺も庭園が特別名勝に指定されている
前述のとおり金閣という建造物は国宝に指定されていませんが、金閣寺の境内にある庭園は1956年に文化財保護法により特別名勝に指定されています。
また、銀閣寺の庭園も1952年に特別名勝に指定されています。
特別名勝については以下の条件で指定されます。
文化財保護法 第2条第1項第4号
貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとつて歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとつて芸術上又は観賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとつて学術上価値の高いもの(以下「記念物」という。)
同法 第109条第1項
文部科学大臣は、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物(以下「史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。
同法 第109条第2項
文部科学大臣は、前項の規定により指定された史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物(以下「特別史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。
いわば特別名勝とは庭園に冠される最高峰の評価ということができます。
このように金閣寺および銀閣寺は庭園にも高い評価が与えられているのですね。
このことも二つのお寺が「古都京都の文化財」の一画に名を連ねることができた大きな要因でしょう。
まとめ
今回は金閣寺と銀閣寺の世界遺産登録について紹介しました。
どちらのお寺も火災といった不幸を乗り越え、1994年に「古都京都の文化財」の一画として世界遺産に登録されたのです。
ポイント
- 金閣寺・銀閣寺ともに火災に見舞われている
- 金閣寺は1929年に旧国宝、銀閣寺は1951年に国宝と登録された
- 金閣寺は1950年に火災で消失、旧国宝の解除がされた
- 金閣寺・銀閣寺ともに1994年に「古都京都の文化財」のひとつととして世界遺産登録されている
こういった理由で、金閣寺・銀閣寺ともに世界遺産登録されているのに、銀閣寺だけが国宝なのかを知ることが出来ました。
あなたも金閣寺と銀閣寺を眺める際は、こういった歴史を思い出してみてください。
凛と佇む姿の向こうに、権力の趨勢、炎、そして600年の間に金閣寺と銀閣寺を通り過ぎていった人々が浮かんでくるかもしれません。
私のブログでは金閣寺周辺の観光スポットをどんどん紹介していきます。
あなたも金閣寺と銀閣寺を訪れ、現代の京都を満喫してくださいね。