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金閣寺周辺

金閣寺の歴史|波乱万丈!権力の象徴であり、全焼も経験した金閣寺

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金閣寺の歴史|波乱万丈!権力の象徴であり、全焼も経験した金閣寺

日本で最も美しいお寺といえば?…この問いについて「金閣寺」を思い浮かべた方は少なくないのではないでしょうか。

正式には「鹿苑寺」というお寺の舎利殿(仏様の遺骨を安置するお堂)が「金閣」です。

そのため鹿苑寺の境内には金閣のみならず、鐘楼や不動堂といった様々な建造物があります。

ただし、あまりに金閣が有名であるため鹿苑寺全体を通称「金閣寺」とさえ称するほどなのです。見慣れている私ですら、金閣寺を見る度にうっとりとした気持ちになります。夏も冬も金閣は凛とした姿で佇んでおり、とても美しいのです。

しかし、金閣寺は二度も大きな火災に見舞われています。

そこで今回は金閣寺の歴史についてみていきたいと思います。炎と共にあった金閣寺の歴史を知ることで、金閣寺から得る印象が変わるかもしれません。

 

金閣寺の年表

金閣寺の年表

はじめに金閣寺の大まかな年表をみていきましょう。その後、各出来事についてピックアップして説明していきます。

金閣寺は以下のような歴史を辿り、現在に至っています。

1224年:藤原公経が西園寺を建立し、後に金閣となる山荘を建てる
1397年:足利義満が西園寺を譲り受け、山荘を改修して金閣が誕生
1420年:足利義満の遺言によって禅寺になり「鹿苑寺」と名付けられる
1467年:応仁の乱により建造物の多くが焼失
1649年:金閣などの主要な建物の大修理
1894年:金閣および庭園を一般に公開し、拝観料をとるようになる
1897年:金閣が特別保護建造物に指定
1904年:解体修理
1925年:庭園が名勝に指定
1929年:旧国宝に指定
1950年:放火により金閣が全焼、旧国宝の指定解除
1955年:創建当時の姿に復元される
1956年:庭園が特別名勝に指定
1986年:金閣の大修復
1994年:世界遺産に登録

これが現在に至る金閣寺の大まかな歴史です。

足利義満という室町時代の絶頂にあった将軍の手によって生まれた金閣寺は、戦や放火による焼失の憂き目に遭いながらも、時代と共にあり方を変えて現在に至るのです。現在の凛とした佇まいからは想像できないような苦難の歴史を乗り越えてきたのですね。

では、ここからは金閣寺の歴史の中から特筆すべきエピソードを紹介していきます。金閣寺という日本が誇るお寺への理解をより一層深めていきましょう。

 

今「金閣」と呼ばれている建物の歴史

今「金閣」と呼ばれている建物の歴史

ここでは現在の金閣の前身となる建物についてみてきます。

はじめは山荘だった

後に金閣となる建物の歴史は1224年にさかのぼります。当時の鎌倉時代において強い権力を誇っていた公卿である藤原公経が現在金閣寺のある場所に西園寺を建立しました。

そして、そこに金閣の前身となる山荘(北山第)が建てられたのです。

このように現在金閣と呼ばれている建物は、もとは鎌倉時代の権力者の山荘でした。西園寺というお寺と共に建てられてこそいますが、金閣自体は特別仏教に関係するものではなかったのです。

その後、鎌倉幕府が滅亡し、藤原公経の子孫である西園寺家は没落していきます。西園寺家の没落と共に、金閣となる山荘を含む西園寺も次第に荒廃していきました。一時は強い隆盛を誇った名家もお寺も時代に淘汰されていくことがあるのですね。

そのような状況の中に登場するのが、かの有名な足利義満です。

室町幕府3代将軍、足利義満

足利義満は当時の最高権力者であり、室町幕府の最盛期を築いた人物です。

義満は荒れ果てていた北山第を含む西園寺を領地と交換に譲り受け、大きく改装して自分の別荘としました。当時の最高権力者の手による改修であったため、その規模は凄まじいものでした。

完成した義満の別荘(もと西園寺)は当時の天皇が暮らしていた御所に匹敵するほど大規模で豪勢なものとなったのです。そして、この改装において元は北山第だった建物に金箔が貼られ、ついに「金閣」が誕生しました。そのため金閣寺は1397年に足利義満によって建立されたと習いますね。

このように金閣の前身となる建物自体は1224年に作られたものですが、それに金箔を貼り、金閣として生まれ変わらせたのが足利義満でした。

金閣は、当時天皇をもしのぐほどだったと言われる足利義満の権力を天下に知らしめるための省庁でもあったのです。

足利義満の遺言によりお寺に変身

ここまでみてきたように金閣は、もとはお寺ではありませんでした。それが現在、鹿苑寺としてお寺になっているのは足利義満の遺言によるためです。当時の最高権力者であった義満も寄る年波に抗うことはできず、1420年に亡くなります。

その時の遺言に「金閣を含む別荘を禅寺にしてほしい」とあったのです。

それを受けて、金閣を含む別荘の一帯がお寺になりました。そしてお寺の名前は、足利義満の戒名である「鹿苑院太上法皇」から文字をとり「鹿苑寺」とされました。

こうして現在の鹿苑寺金閣が誕生したのです。

 

嫉妬の炎

嫉妬の炎

義満の遺言でお寺となった金閣寺は改修を繰り返しながら、多くの人に愛されてきました。

しかし、1950年に事件は起こります。

当時の金閣寺の徒弟(見習い僧侶)が、放火により金閣を全焼させたのです。

後には骨組みだけとなった無残な姿が残るだけでした。逮捕された犯人は、放火の理由について以下のように語ったそうです。

『美に対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった』

この金閣寺放火事件は、三島由紀夫や水上勉により小説の題材とされています。彼岸を思わせるほど美しい金閣寺が炎に包まれて焼け落ちていく様はとてもセンセーショナルだったでしょう。

また、この放火事件により金閣に対する旧国宝の指定が解除されてしまいました。

旧国宝に指定されていた建造物が全焼してしまったのですから仕方のないことなのですが…とても悔やまれることです。この放火さえなければ、金閣は今でも文化財保護法による国宝に指定されていたはずです。その後、政府からの援助や寄付金により金閣寺は1955年に創建当時の姿に復元されました。

これが現在、私たちが目にすることのできる金閣です。

 

世界遺産「古都京都の文化財」の一画

世界遺産「古都京都の文化財」の一画

このように全焼により旧国宝の指定解除がされてしまった金閣ですが、1994年に「古都京都の文化財」の一画として世界遺産に登録されました。

「古都京都の文化財」が世界遺産に登録された理由は、以下のような点が評価されてのことでした。

  • 京都が千年もの間、首都として日本の文化を牽引してきたこと
  • 京都の建造物群は各時代における日本の建築様式および庭園様式の代表であること
  • 日本独自の精神性と文化が内包されていること

1950年に全焼の悲劇に見舞われた金閣ですが、「古都京都の文化財」の一画を担うものとして評価された点は非常に嬉しいことです。

現在、金閣は世界中から訪れる多くの人に愛されています。

 

まとめ

今回は金閣寺の歴史についてみていきました。

金閣はあの美しい立ち姿からは想像ができないような波乱万丈の歴史を歩んできたのですね。時の最高権力者である足利義満の手によって建てられ、放火により全焼しつつも、世界遺産の一画として名を連ねる…とてもドラマチックです。

こういった歴史を知ることで金閣から受ける印象が変わり、また金閣への理解も深まることでしょう。苦難の歴史を乗り越えて今も美しくあり続ける金閣寺が世界中の人々から愛されているのも納得です。

このブログでは金閣寺周辺の観光スポットをどんどん紹介していきます。

あなたも金閣寺を訪れ、悠久の歴史に身を委ねてみてください。

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